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街並みに歴史観を保存することはできなかったのか
私が最も好きなアニメは『ご注文はうさぎですか?』という作品なのだが、過去に「あんな街が日本にあったら住みたい」と書いた記事がある。ファンはもう御存じのとおり、作中の舞台は『ストラスブール』という街で、フランスのドイツ国境と隣接した街である。
当時の記事で、近代アジアの都市建設は「歴史の破壊」からスタートしていると書いた。
それについて、強い反論をいただいたので、その反論も含めて日本の観光というものを考えてみたい。
なるほど、地震が来るから日本の都市はアジア圏によくありそうなアジアンシティーとなったと・・・。「歴史を壊した」って…違う気がしますよ。
ヨーロッパの地理と日本の地理を同じだと思わないでください。
ヨーロッパではあまり地震が起きませんが、日本では地震がしょっちゅう起きます。だから家を建てても、大抵は数十年で壊れてしまうんです。今も残っている歴史的建造物で建て直しが行われていないものなんて、殆どありません。
一部の、建て直しされていない建物も、今では地震で壊れないように補強がされています。
今でこそ、地震に強いコンクリート製の建物を建てられますが、昔は「地震に強い建物」を建てる技術なんてなかったんですよ。
そこのところをもう少し考えるべきです。
だが結論を言うと、日本の都市がアジアンシティー化したことは、地震とは殆ど関係がない。
欧州でも地震が発生するイタリアでは歴史観が大切にされた建築物が保存されているし、日本の耐震技術は近代以前よりずっと前から存在した。五重塔で地震による倒壊が無いと言われる通り、その手の建築に関することを検索すれば、耐震技術はずっと以前から存在した。
日本住宅総合研究財団資料によれば、住宅に関する耐震技術は100年前にほぼ現在にも通ずるレベルまで確立されているということだ。要は技術的には、ヨーロッパのような歴史観を大切にした一大観光都市を作ることは可能であった。
京都市などは独自の景観条例を設けて奮闘しているのだが、いつの間にか論点が『高さ制限』にすり替わってしまった。
前回の記事で京都における外国人観光客は、祇園と嵯峨に集中するということを書いた。
これは外国人が『京都らしい』と思える"面"が、祇園、嵯峨にあるからと言える。
個々の文化財は京都に数多くあるが、祇園と嵯峨以外については"点"でしかない。
金閣寺と船岡山はすぐ近くにあるのだが、それぞれが"点"となってしまったため、日本人ですら「京都を造成するのに船岡山の存在は必須である」という歴史を知らない人が多いため、船岡山を訪れる観光客は皆無である。
歴史の積み重ねの欧州型と歴史の再生産型のアジア
これまでを踏まえ、欧州のように『京都で外国人観光客反対運動が起こるか』というものを再考してみよう。まず欧州と日本とでは、外国人観光客市場の規模がまるで違う。
観光庁の提示する統計によれば、観光客の数において、日本はスペインの3倍も引き離されている。
果たして京都にバルセロナクラスのポテンシャルがあるかは疑問だ。
日本のライバルとなるのは中華文化圏だが、上グラフのうち、香港とマカオは60Kmしか離れていないため、一つの観光圏として考慮するなら、日本は香港・マカオに2倍以上もの差をつけられている。
さて、なぜ日本がスペインやフランスの様な欧州と同列に語れないのか。
これは街並みが『歴史の積み重ね型の欧州』に対し、アジア圏は『歴史を再生産している』からだ。もちろん日本の都市はアジア圏型の都市に含まれる。
日本の歴史に関して言えば、明治期に産業革命とキリスト教文化の流入によって再生産されており、建築物の欧米化が始まった。京都市街ではその日本の縮図を見ることができる。宗教系の大学でも仏教系より、キリスト教系ミッションスクールのブランド力が強くなったのも、歴史の再生産の賜物だろう。
歴史の再生産によって、歴史の積み重ねとなる京都の観光エリアは祇園と嵯峨に限られるようになった。
付け加えて言うと、井上章一氏の『京都ぎらい』では、京都の坊さんも着物よりミニスカートに憧れるようになった。その影響から、祇園の茶屋の主な収入源が外国人観光客であろうことが書かれている。
トータルで見ると、どうしても京都の観光都市としてのポテンシャルは高くない。大阪とは違い、京都は外国人観光客誘致にも大して熱心ではなかったので、安倍政権のインバウンド政策が無ければ、特段訪日観光客数は伸びなかっただろう。
そんな京都で外国人観光客反対の声が上がるかは疑問だ。せいぜいツイッターで声の大きい一部の京都人が反対を叫ぶ程度で、観光と関わりの深い京都の事業者は、これからも外国人観光客や修学旅行生と付き合って生きていくことになるだろう。
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