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大事な人達を守った? 守れてねーよ\(○言○)/!

高須克弥氏の特攻に関して述べたツイートが波紋を呼んでいる。
別に敗戦の玉音放送の日だから戦争に関することを書こう、などという考えはなかったが、タイムラインで見かけた同氏の発言に流石にイラっと来るものがあり、つい反応してしまった。
「オイオイ何言っちゃってんの、この人。
って言うか賛同する人もあんなにいんの?」
という、ある種の残念な事態を目の当たりにした。

「いやいや、じゃあ過労死は会社や家族を守ろうとした美しいモンだって言えるのか?
言わないだろ。過労死したら会社や大切な家族を守れるんか? 守れないよね。遺された人どーすんのって話だろ。」
などと思い、流石に私も辛抱たまらず「じゃあ特攻は日本の勝利に役だったんかいな?」とツイートしてしまった。先の高須克弥氏の発言は、賛美する人も多いが、もちろん反対意見も多い。
ご子息である高須力弥氏が、特攻美化に批判をしている。
私は力弥氏の御意見が全うなように思う。
そもそも特攻が大事な人を守ったなどと言えるのだろうか。
確かに日本がアメリカに勝ったなら、守ったと言えるかもしれない。
しかし、結果は負けたのだ。
原爆の2度の投下を許し、ポツダム宣言(無条件降伏)を受け入れなければならなかったのだ。
つまり、結果から言えば、守れてなどいないんである。

結果主義で当たり前だ!

私の主張に対し、「結果ありきで言うのもどうなの?」という反論はある。
しかし思うに、戦争など結果が全てであろう。スポーツよりも、ビジネスよりも、結果というものに無慈悲である。
そして、結果は重く受け止め、反省をしなければならないものなのだ。
米軍は機体が損傷すれば、パラシュートで脱出をするようにしていたという。
兵士の生存率が高まれば使いまわしが効くが、特攻で使い捨てにした日本軍は結果、どんな道を辿ったと言うのか。

そう、現場を知らぬ指揮官が、死のみを用意したことに対する全うな感覚としては、賛美や感謝より、謝罪が相応しい。賛美をする人が多いことは、なかなか残念でならない。
だからこそ、今日の日本では、戦争でもないのに自死は毎年3万人。長時間残業もなくならず、過労死も出る。
長時間残業で苦労自慢したところで生産性は上がらず、過労死をすれば当然、遺された人は悲しんだり、路頭に迷ったりするのだが、なぜ特攻から続くこの精神論がなくならないのやら。

一体一人のパイロットを一人前に育てるのに、どれだけのお金と時間がかかるだろう。
貴重なパイロットを使い捨てにして、何か良いことあったか?
同じ過ちは繰り返してはいけない、と言いたいところだが、残念ながら似たような過ちは、現代日本ブラック企業という組織で生きている。
人材を特攻させて戦争には勝ったか?
労働者を過労死させて国際競争力とやらはついたか?
特攻や玉砕の精神性は本当に美しいものだったか?
その精神性が変わらない限り、今後も同じ過ちが繰り返される気がしてならない。
私はここに、毎日新聞の保阪正康氏のインタビューを引用し、この記事を締めたい。

ある元海軍参謀にインタビューをした際、戦時中の個人日誌を読ませてもらったことがあります。特攻隊についての記述があり、「今日もまた、『海軍のバカヤロー』と叫んで、散華する者あり」と記してありました。部外秘の文字も押されて。この元参謀によると、特攻機は離陸した後はずっと、無線機のスイッチをオンにしているそうなんですよ。だから、基地では特攻隊員の〝最後の叫び〟を聴くことができた。「お母さーん」とか、女性の名前もあったそうです。「大日本帝国万歳」というのはほとんどなかった。ところが、そうした通信記録は残っていない。故意に燃やしてしまったに違いありません。〝軍神〟が「海軍のバカヤロー」と叫ぶ。それは当局にとって、隠蔽(いんぺい)すべきことだったでしょうから。

毎日新聞-『神風は吹いたのか』より