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『暴走する世間』という本にこんなことが書かれていた。
「日本には世間はあるが、社会は無い」と。


社会人、というものの存在を考えた時、まず社会とはなんだということから考えなければならない。
では"社会とは何か?"という問いを投げかけた場合、答えられる人は殆どいないのではないだろうか。こんなことを書いている私自身、社会とは何だという問いかけには、答えられる自信がない。


ただ、"世間とは何か"と訊かれると、此方は答えられる気がする。
強いて言えばウチ・ソトの論理と「言わなくてもわかるでしょ?」の無言の圧力(空気)。
ルールではなく、常識で動く世界。それが世間というものだと考えている。
それ故にルールと常識が全く矛盾してしまうことが多々起こる。


道路交通法を守っている人はどれだけいるだろうか。
制限速度をキチンと守って走ろうものなら、酷いときには後ろの車からクラクションを鳴らされるかも知れない。
未成年飲酒禁止法は高卒で就職した人は恐らく、違反することになる。嫌でも飲まされるからだ。
就業規則はいかがだろう。"執務室内での食事は禁止!"と書いても、破る人が出るといつの間にか、それが常識としてまかり通ってしまう。だから労基法も派遣法も破られ、憲法で保証されている筈の基本的人権(特に思想・信条の自由)すらも否定されてしまう。


昔、大学の法学部の先生から「日本は法治国家ではありません」と言われたことがある。
その言葉を全く否定できないほど、日本では法律が守られない。マナーは守るが、ルールを守らない。いや、近年ではそのマナーすら怪しい。
社会というのはまずルールが尊重され、その上でマナーを守り、常識を考えて行動するのが社会の在り方だと思うのだが、日本ではその順位が逆転しているようだ。
"社会人"という言葉を前にした時、本当に日本に社会人はいるのか怪しくなる。会社人なら間違いなくいると思うが。