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自発コンテンツがある京都とパクリ文化の東埼玉

4か月も連続で通ってしまった京都であるが、しかし、京都市は行く度に何かしらテーマがあり、意外と飽きない街だ。
私は今でこそ多摩を愛し、多摩で生涯を終えたいと願っているが、その一方で、京都のコンテンツ力にはある種の期待がある。
何せ私はアンチ東京なものだから、東京一極集中に歯止めをかけ、多摩や地方都市の魅力を若者が感じて欲しいと願っている。
そういった意味で、京都移住計画というサイトに密かな期待をしていて、東京一極に歯止めをかけて欲しいと願っている。
その一方で、京都出身者による否定的な意見もあり、なかなか難しいところだ。
しかし、『京都の現実を知ったうえで言ってるの?』という記事を見ても、「ああ、東埼玉よりは全然マシだぜ・・・」というように思えた。
とはいえ、かのブログ主も、故郷である京都を愛するが故の苦言なので、とても良い記事ではあると思う。
それでも「東埼玉よりはマシ」と思える。
そう、京都にはコンテンツがある。コンテンツを生み出す力がある。
東埼玉にはこれが無いのだ。
大宮の駅弁を見れば一発でわかる。
大宮の駅弁とはすなわち、他県のパクリの集合体なのだ。
なにか最近、自前の駅弁などと言って「大宮弁当」を売り出したが、何のことはない。ただの幕の内である。
大宮駅弁で「ひつまぶし」を見たが、これは完全に浜松のパクリであるし、あとは東京のお下がりだ。
東埼玉出身としては、大宮の駅弁は嘆かわしい限りである。


東埼玉人の目も当てられない粗暴さ

春日部出身の愚生としては、クレヨンしんちゃんほど憎たらしいコンテンツはない。
野原しんのすけは下品であるし、野原みさえは粗暴である。
しかし、残念ながらアレは東埼玉人の特性をよく理解しており、それ故に余計に忌々しいのだ。
初めての一人暮らしを久喜市で過ごした私だが、年に4回は自転車が盗まれるか、壊される。
職場に行けば毎日のように暴力は起こるわ(特に佐川急便で顕著)、罵声は聞こえるわで、あの粗暴さは目も当てられないのだ。
ハッキリ言って東埼玉が京都に負けてないものと言ったら、市民の閉鎖性くらいである。
それも京都のように『外国人観光客を受け入れる』ような習慣もないため、粗暴さだけが、より冴える。


スラム化している東埼玉

京都に負けてないのは市民の閉鎖性だけ
それ以外で京都に勝るものが見当たらない。
埼玉に帰ると「ここは田舎だし」みたいな話をよくされるが、東埼玉は決して田舎などではない。
ただし、スラムではある。
もちろん東埼玉の全てではないが、草加の駅前の公園や、西川口の駅前、岩槻のホテル街は、なんとも言えぬ瘴気を放っている。
草加駅だったか松原団地駅だったかわすれたが、駅前の公園はゴミで散らかり、夏の夜には絶対ベンチに座ってはいけないとわかった。
西川口で「外国人犯罪が街の景観を壊す!」などと言った排外デモが起きたが、「バカ言え! 西川口なんて最初から瘴気まみれだっただろう!」と思ってしまう。

最も、こうしたスラム化には一応、理由はある。
東埼玉は川崎並に、工業化によって栄えたという近代史があって、どうしても荒くれ者が集ってしまうのだ。
それでもまだ志木・和光並に落ち着いた景観があれば良いのだが、建つ店という店が、邪念溢れる飲み屋さんになるものだから、始末が悪い。

もし埼玉へ住みたいと思うようなことがあれば、間違いなく荒川の西側をお勧めする。
埼玉の一番の不幸は、川越ではなく、大宮を中心に栄えたことだろう。
もし川越を中心に栄えていたら、今日の「埼玉=何もない」という風潮もちょっとはマシになり、もう少しは文化的な生活をしていたであろう。
残念ながら大宮を中心に栄えてしまった埼玉。
埼玉全土が汚染されずに済んだのは、荒川がブレーキ役になってくれたからだと思っている。
野原みさえと、しんのすけが憎たらしい。
私の母も昔は気性が荒く、その時の記憶があるので、今でも母は苦手である。
佐川急便では数多もの暴力を受け、或いは目の当たりにし、怒りや涙を必死に堪える者達を見てきた。
東埼玉へ住みたいなどと知り合いが言い出したら、間違いなく止めるであろう。
東京一極集中には懸念している私だが、東埼玉の粗暴さだけはいかんとも擁護し難い。
もう少し東埼玉人は穏やかな市民性を獲得して欲しいのだが、それには千年かかりそうである。