建前に還る
強迫観念を克服する為に本音を修正しようとした私の対応は正直に間違っていたことこの上ない。
本音の修正などと言うものはそれこそ、お寺や修道院に入って修練を積まなければ、そうそうできるものではない。ましてコールセンターで働く只の人間である小生が、邪念を完全に取っ払おうなど寝言も寝て言うべきなレベルだった。
ではどうすうれば良かったのかと言えば、『建前に任せる』と言うもの。
変態王子・横寺陽人は苦痛から脱出するため、捨てた建前を取り戻す為に動き出す。
現実を生きていれば、建前はかなり強力な防御機構として機能する。それは他人から自分を守る殻としてだけでなく、自分自身の『本音の暴走』から自分を守るための防御機能でもある。
繰り返し言ってしまうと、人間の『本音の部分』と言うのは結構酷い。本音などと言うものは煩悩とかなり直結しているからだ。強いて挙げるなら性欲、暴力欲、金銭欲、自己啓示欲。この他にも『本音』と言うものの醜い部分は挙げたら枚挙に暇が無い。
『変態王子と笑わない猫』の横寺陽人は'本音'の大半が性欲で占められている。建前を失った彼はセクハラ発言を連発してしまい、その度に制裁を受ける。彼の本音には暴力に対する欲求が無いからこそ変猫は笑える作品に仕上がっているのだが、現実の人間の『本音』には暴力に対する欲求が大なり小なりあるし、そんな本能をさらけ出して社会的に抹殺されないようにするために『建前』が防御機構として機能する。
じゃあ暴力に対する欲求と言う『本音』はどこでさらけ出すんだ。溜めたままだと鬱憤が溜まるだろう。と言えばその指摘や間違いは無い。しかし、現実社会ではコレも上手く出来ているのである。
現実社会ではどんなに欲求が湧こうとも、暴力を行使するわけにはいかない。社会的に抹殺されるからである。
では、他人に行使させたらどうだろうか。暴力団がどうとか、そういう非日常な存在ではなく、もっと身近なもの。
例えば格闘技やプロレスを考えて欲しい。自分の暴力に対する欲求を自分では行使せず、'他人同士にやらせる'ことによってエンターテイメントとして成立している。それでもプロレスの観客はあくまでも『観客』と言う建前が維持され、ブラウン管の向こうで観ている人々は『視聴者』と言う対面が維持されることで、社会的に失うものは何一つなく暴力に対する欲求は発散できるのである。だからこそ、ボクシングは古代ギリシアから今日までずっと続いてきたのであるし、現代版コロシアムとでも言うべきK1などが事業として成立するのである。
プロレスもK1もボクシングも、観客はあくまでも『観客』と言う建前が維持される。私が加害恐怖を克服していくに当たって必要だったのは、『建前』に還ることであった。


建前は無意識レベルで自分を守っている
変態王子の建前を手にした小豆梓。彼女はどうにも建前の使い方を間違っている気がするのだが、プライドと体裁を守るために、強固な『建前』を必要としていたからいたしかたない。
反面、『建前』を持っていた頃の変態王子は無意識下では建前がズラズラと並び、本音は厳密な意識下の元でし出していったのだろう。何と言っても表彰される履歴の本音の部分が人に言えないことだらけである。
変態王子の例を見れば、『本音』の部分だけ意識すると、あとは無意識に出る『建前』が自分を守ってくれるのだ。
『本音』としての変な感情が湧いたとしても、大抵は無意識で紡がれる『建前』を口にしているので、そうそう『本音』を通話中に口にしていることは無かったわけである。
現実世界に於いても過去に変態王子が持っていた『建前スキル』は充分大事なスキル。今、(仕方なく)コールセンターに居る私がいつも振り返っていることは、『建前』でちゃんと対応してこれたかどうかである。電話一本一本に対し、キチンと『建前』で対応出来ていればそれで良しとする。相手が普通に電話を切ったらキチンと『建前』で応対できたと考える。
コールセンターの中に居る時は同期以外に『本音』は言わない。この記事を書いている間に振り返ってみると、なんだかんだで『建前』が無意識に、ちゃんと機能しているのである。
もし、不安障害で自分の発言が気になって仕方ない人は、自分の建前をよく見つめなおしてみて欲しい。自分が思っている以上に『建前』が自分を守ってくれていることが実感できるようになれれば幸いである。

変態王子と笑わない猫➀巻から



















かつては建前スキルがとても高かった(と思われる)変態王子。
『変態王子と笑わない猫➀巻より』