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2011年、原発事故が起きた後、名古屋で『脱・原発ぱれーど』なるデモが行われると聞いた時、主催者が女子高生だったということに驚いた記憶がある。確か最終目標は浜岡原発を止めることであったと思うが、彼女たちの頑張りもあってか、浜岡は無事に止まった。
勿論、色んな人が指摘するように停めたからといって安心できないのは確かで、それは福1の4号機爆発が良く表している。
とは言え、浜岡原発が事故を起こしたら確実に東京と名古屋は壊滅し、我々は難民として生きるか被曝して死ぬかの2択を迫られるであろう。海外に生活基盤がある人はまだしも、そうでない人は実質的に避難は無理だ。
だが、わかっていても大人はなかなか動けぬものである。そしてそんな大人達が今の’日本企業・家庭’に集まり、国家を形成してしまった。
『人が集まって家ができ、家が集まって国家ができる』とはアリストテレスも良く行ったものだ。彼の『政治学』は実に今の日本を含めた、東アジアそのものではないか。取分け日本では人が集まると、モノ言えぬ’空気’が生まれてしまい、空気が集まって国家が’大気’を作っているかのようだ。
その’大気’に対して楔を打ち込んだその女子高生には率直に、その勇気を素晴らしく思ったものだ。

東村山駅を歩いていたら渡された、「さよなら原発! 東村山ウォーク」の誘いのチラシを受け取った。
流石に私は行くことはできないが、東村山は小出裕章さんが講演に来たことがあるから、もしかしたら講演を聴かれた方もいらっしゃるかもしれない。
私の住む多摩市でも最近、脱原発の演説が行われているが、大本は名古屋の女子高生が打ち込んだ楔のおかげで大人達が立ち上がることができたのかも知れない。そして本来ならそれこそ、民主主義のあるべき姿である。
さて、縁あって知ることになった東村山の会。幸い、彼らもブログを持っていてくれたため、彼らのブログへのリンクを貼り付けさせていただこう。
それにしても東京電力も800Kmも離れた青森の最北端から、東京に電力送ろうなんてトンデモない発想には、なんど考えても異常としか思えない。冗談は休み休み言っていただきたいものである。