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マイナスで造り上げたブランディングでは、桜井誠なる人物が一貫した主張を続けてきたことでマイナスのカリスマになってしまう凄さに触れた。やっていることは決してプラスのことでは無いが、在特会のリーダーとしてお布施を集めようと思えば集まる立ち位置にいて、本を出せば一応売れるという具合で少なくとも飯を食える収入は入ってるんじゃないかと思う。そういった意味ではこの男、尊敬はできないが感心はする。
とは言え、どうしてそこまで武力に拘るのかというある種の疑問が付いてくる。何ぶん、彼のような立ち位置にいれば反韓セミナーやら反中講座といったセミナー集客、そして著書出版でもしていた方が収入としては安定していくと思うし、それこそ不思議でたまらないのはデモの仕方である。
例えば本当に自分が正しいと思うのであれば、国会や首相官邸の前で『在日特権を許さない法案の可決を』と国会に請願すれば良いのであって、それこそ『日本・大和民族単一化』をしたいと思うのであれば尚更国会に出向くべきである。ところが何故に、新大久保へ行ってヘイトスピーチを繰り返し、傍や朝鮮人学校を『襲撃』するのか。このヒントは彼らの置かれている『社会的地位・立場』と『DV』というものにある気がしている。


DV(ドメスティックバイオレンス)の性質
彼らの行動を詳しく追及する前に、ここではDVの特性、なぜDVは起こってしまうのかという特性について考えてみたい。
DVは大抵の場合、男性から女性に対して行われることが一般的だ。勿論、近年では女性から男性に行われるケースもあると思うのだが、一般的な論としては男性が女性にするものだと言える。
では何故に男性がDVに走ってしまうのかと言えば、『虚構の男らしさ』にすがった結果だと考えている。
私自身は小さい頃から、母には「男なんだからナンチャラ・・・」「男なのに云々・・・」と言うことを良く言われてきた。お世辞にも私の母は頭が良いとは言えないし、自身がそれを自認するものだから私に勉強しろとは言ってこなかった。ただ、生徒時代に不良やっていた母は私にスポーツが出来る男に育って欲しかったらしい。恐らく喧嘩にまみれて生きてきた自身の過去と照らし合わせて、「女を守れる丈夫な男になって欲しい」という思いはあったようだ。
ところが私は大のスポーツ嫌いであるし、今以てスポーツは見るのもやるのも嫌いである。そして世間様の言う『男らしさ』と言うのも誠に違和感を感じるのである。なんと言っても哲学が無い。
私の知る中で哲学としての男らしさを持って実践した人物は歴史上、チムールただ一人。「男は一本の道をまっしぐらに行くべき」と言う哲学を持って行動したからこそ、彼は最初に惚れた奥さんを自分が死ぬまで愛し続け、モンゴル帝国のような国を目指して自分の領土を拡大し、奥さんのためにアク・サライを建てたのである。
しかし、今の日本で俗に言う、「男は強くあるべき」とか、「女を守るべき」はあまりにもテンプレ化されて中身が無い。即ち男らしさの虚構である。そんな虚構の男らしさを妄信し、仮そめのプライドが女性に崩された時(即ち性的に傷ついた時)、DVが起きてしまうと考えている。
と言うことは、DVを起こす男性の本音と言うものは、「男らしい自分」を承認して欲しいことにあって、「男らしくない自分」に対する不満の証左とも言える。


自己不満と暴力
例えば在特会のヘイトスピーチにしろ朝鮮学校の襲撃にしろ、実行する人間の根底的思想には’自己に対する不満’があると思われる。
現実社会で生活するなら自己に対する不満は程度の差こそあれ、誰しもが持っているだろう。その行先がどこに向かうかによって人間の行動様式が変わるのではないかと分析した。
例えば自分に対する不満全てを自分の中で受け止めようとすると自己不信に陥り、精神疾患に繋がっていく。例えば出世できない自分が居るとして、「出世できないのは自分の努力が足りないからじゃないか」とか、「上司や同僚に好かれないのは自分が欠陥品だからじゃ無いのか・・・」とか。言うなれば精神疾患は自己不信との闘いなのだ。なんとなくダメな自分を直視し、それを認めることは出来ても受け入れたくない。そして人にも相談出来なくなり、死にたくなってしまうと言うのが精神疾患の実態の一つであると思う。
一方、自分に対する不満が仕事に向かうとそれは『ハングリー精神』となるたくさんの成果を出せる自分に変化させる。
では、他者に投影するとどうなるか。それが’暴力’である。なんとなく社会的に認められていない自分が居て、それは自分が直視したくない現実だと思った時、自己に対する不満を『他者に投影』して鬱憤を晴らす。そこに暴力が生まれる。やがて相手を虐げることができる自分に陶酔していき、暴力から抜け出せなくなる。
実際に第二次大戦中のドイツ人は『仕事が無い、金を稼げない自分』に不満を持ち、それをユダヤ人に『投影』させ、ユダヤ人を『殺戮できる自分に陶酔』していき、止められない状態になる。ドイツ人が暴力から抜け出すためには実に、ヒトラーの自決を待たねばならなかった。
『いわゆる行動する保守』という連中も恐らく同じような心理に陥っていて、在特会の面々も非正規雇用で働いている若者が多いそうだ。そんな若者の考えはやはり、二次大戦中のドイツ人のように’正規雇用に就けない自分’に不満を持ち、それを在日韓国人や中国人に投影し、暴力を起こすことで快楽を得る。一度暴力を起こして快楽を得てしまうとなかなか暴力から抜け出せないのであって、実は在特会のような団体に心酔してしまうメンバーの'本音’の部分は、在特会の掲げる理念とは直接関係しないケースが多いのかも知れない。