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書院

















恐らく精神疾患で悩むようになってからだと記憶しているが、私はどうにも書院というものに対して憧れを抱くようになった。コールセンターという職場で電話の音や周囲の会話の音に揉まれていく内に、静かな環境が恋しくなったのだと思う。
強迫性障害になり、心当たりはあるか訊かれた時、心当たりが有りすぎて特定し辛いという回答をしていた。
フロイト全集を読んだとき、強迫神経症患者は幼少期のサディズムに戻ってしまうとかなんとかという下りを見た気がする。読んでいる内に眠くなってしまっていたのではっきりとした自信は無いのだが、読んでいく内に自覚するのは、心当たりとなる要因の一つは幼少期にあるのは間違いない。
直接の契機となったのは忘れもしない、2012年の3月。先輩の一人が電話の向こうの相手に『本音』がダダ漏れになってしまったために、大っヒンシュクを買ってしまうという出来事があった。隣の席で見ていたにも関わらず、きちんと電話機が保留になっていないことを指摘出来なかったことについて、私は彼に申し訳ないと思っているし、ある意味で責任もある。
私はその事件の原因を良く検証するのだが、思うに原因は特定の人に負担が集中していたことにあった。
当時所属していたセンターは一部の人間が2つの電話機を担当しなくてはならない。それぞれが異なる内容で電話が来るから、当然名乗りも違うし、処理内容も全く違う。
その一方で通称’待ち呼’と呼ばれる状態、即ち電話の向こうで相手が待っている状態では、処理を後回しにして次々と電話を取らなくてはならない状態だった。その一部の人間には私もいたし、事故を起こした先輩もいた。
業界的に3月の繁忙期の中で負担も分散されなかったので、仕事は溜まるし溜まった分だけ帰りも遅れ、それでも遅れたり少しでも間違おうものなら直ぐにSVから怒られる。イライラ絶頂なのだ。
この職場では私以外に3人もの精神疾患患者を生み出しており、事故を起こしてしまった当の先輩も残念ながら鬱病を発症(しかも再発)。別の先輩では鬱病で退職させられてから、入退院を繰り返すほど重症な人も現れてしまった。
その事故の話をしだすとそれだけで1記事埋まるボリュームなので今回は割愛するが、職場の中ではある種の悪習が浸透していたし、そうした職場環境の中で私の思考もメルトダウンを起こしていたのだと自覚している。
いつしか強迫性障害特有の加害恐怖や確認恐怖に脳内が汚染されきった時、私は静かな環境で生活したい気持ちでいっぱいになってしまっていた。職場の雑談でよくよく口にするようになったのは次の言葉である。

「なんかこう、ね。頭丸めたり法衣を着たりはしたくないんだけども、お寺や書院で座禅組んで座禅や勉強をして過ごしたいもんだね。」

そんなことをよくよく口にするものだから、ある種の出家願望とでも言うべきか。私には信仰は無いが、自分の汚染され過ぎた思考は洗いたいという気持ちはずっとあった。
紆余曲折あって2013年10月で私は3年勤めた職場を解雇となり、周囲に宣言した公約通りに2013年いっぱいは休養に専念した。
静かな環境である多摩市でずっと静養し、その間はホームページ作成ソフトやHTML、SEOの勉強に専念した。おかげさまでホームページを作れば検索エンジン上位に立てる技術を身に付けたし、とりあえず今は目先の収入の為に短期のコールセンターで働いている。ただ、やはりコールセンターに戻ると書院のような存在が恋しくなり、どうにも瞑想して心を洗いたい気分になってしまう。
昨日、立川に行った際に古民家園というものがあって、いかにも日本的な書院があった。
入場料は無料なので、仕事としてWiMAXの速度検証をする傍ら、少しばかり書院に浸っていた。鹿威しの音を聞きながら静かに心を洗いたい、と思いながら・・・。