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戦車道は紛れもない内紛そのものである

「That's戦車道! 戦車道は戦争じゃない!」
そんなセリフがあったのだが、屁理屈にしか聞こえないのは気のせいだろうか?
ガールズ&パンツァーは戦車を使い、敵チームの殲滅やフラッグパンツァーの撃破をすることを目的とした競技、戦車道を描く作品である。
さて、競技としてやる以上、弾は安全なペイント弾などを使っているのであろうか?
否。実弾である。
動画を見ればわかる通り、戦車道という競技では実弾が使用される
戦車の中にいる分には死亡する危険性は低いが、生身の人間が喰らえば良くて重症。高確率で即死である。
国家間の武力衝突ではないため、狭義の意味での『戦争』ではないが、実弾を使って勝敗を決するという意味では戦争とやっていることは変わらないのだ。
そして競技としての戦車道を見た場合、一般のチームスポーツと比べて、明らかに違う要素が一つある。
それは、出場するメンバーの数を揃えなくて良いという点だ。
通常、球技ならサッカー11人、野球は9人で人数が決められている。テニスや卓球もシングルスとダブルスがあり、敵味方とも出場人数は同じだ。
ところが戦車道はこの常識が適用されない。黒森峰 vs 大洗のように、20対8でも試合は成立する。反則規定は一応存在するが、殆ど無いと言って良い。これが尚のこと、戦争と同じような状況を作っている。
これを踏まえた上で、黒森峰女学園のだらしなさと、西住みほの功績を考えてみたい。



競技の維持には人命尊重が必要不可欠

作品概要を見ると、全国大会に優勝することが大洗女学園のミッションになるわけだが、作品を読む限りにおいて、あの世界では戦車道がメジャーな競技になっているとは考え難い。『全国大会』はあるのに、地区予選すら存在しなかったからだ。
当初、ガルパン世界における日本は、周辺国と緊張状態にあるんではないかと勘違いしていた。
何せ文部省が絡んでいるくらいだし、西住みほは徴兵に近い姿で戦車道に行かされたから、女生徒に愛国心を植え付けねばならないほどに、周辺国と緊張状態にあると思ってしまったわけだ。
だが、作品を見ると、地区予選すら存在していなかったことから、恐らく戦車道はメジャーな競技では無いのだとわかった。
学園艦は言うなれば巨大な的で、そんなものが沿岸を航行できていること自体、ある意味で現実の日本よりは平和なのかもしれない。
ただ、ガルパンの世界線でさえ、戦車道はメジャーな競技ではない。そんな競技から死亡事故が出てみろ。一発で競技は無くなると言って良い。
つまるところ、戦車道という競技は絶対に死亡事故が起きないことが前提に運営できるわけだ。
この点で、黒森峰は既に組織としては失格である。
西住みほが仲間を救助に向かったことで、黒森峰は夢の10連覇ができなくなり、チーム内の空気が凍り付いてしまう。
端的に言えば『勝利の為なら仲間でも見捨てろ』ということだ。
だが、生身の人間があの砲弾を喰らえば即死である。つまり、勝利を逃しても助けなければいけないのだ。よって西住みほの行動は褒められこそすれ、咎められる要素は無い。


コミック版のガルパンは秋山殿の視点で描かれるため、みほ殿のヒューマンスキルの高さがより客観化されて、わかりやすい。

戦車道でも精神性より合理性を優先しなければならない

言っては悪いが、黒森峰は兵器が優秀なだけで、その精神面では旧日本軍と幼稚さが変わらないのである。
同じ戦車、同じ数で継続高校と戦えば、間違いなく惨敗する。それが黒森峰女学園だ。
「西住流に撤退の文字は無い!」
言い換えるなかこれは、西住流に撤退をするという度胸がないと言える。
特に何かを成したいと考えた時、実は撤退することの方が勇気がいる。そして、撤退する勇気が無いために命を落とすことがあるのが現実である。
登山経験がある人は想像しやすいだろう。道に迷った時、迷ったまま突き進むか、それとも来た道を引き返すのか。
来た道を戻るのが安全とわかっていても、その決断は登頂を諦めるということであり、意地を捨てる勇気が必要なのだ。
繰り返し言うと、人命より勝利を優先した黒森峰は、組織として失格なのである。
日本軍と同じだ。常に進軍あるのみで、精神性ばかりが重視されている。
だからこそ大洗に高台を取られて戦力を削られ、果ては大将同士の一騎打ちに持ち込まれるなどという醜態を晒してしまうのだ。
日本軍は精神性ばかり重視し、合理性を疎かにした。結果、太平洋戦争の無条件降伏だ。
黒森峰は西住流を取り入れたばかりに突撃しかできない集団となり、装備も数も劣る大洗に大将同士の一騎打ちに持ち込まれたことは、醜態という以外の何物でもないだろう。